ギターショップ「アンダンテ」には、個性豊かなギター製作者やギター愛好家が集まり、長年に渡り交流をしたりお取引をさせて頂いています。この企画シリーズ「ギター人(びと)探訪」では、ギターがあることでより豊かな生活を過ごされている皆さんをご紹介していきます。

ギター人:増田泰隆さん
職業:水産研究員

増田泰隆さんは、水産学の研究職員として勤務されています。

魚類防疫 、水産養殖学をご専門とされている増田さん。淡水魚類の生態の調査や、養殖試験などに携わってきました。

「30年以上勤務している間にいろんな仕事をしてきましたが、特に印象に残っているのはアユの遡上量と環境要因を統計的に解析して遡上量を予測したり、カジカを夜間に照明で照らすことで産卵時期を早め、成長や生き残りを良くしたりといった試験研究でした。取り組んでいた時には諸先輩や同僚の助言をいただきながら大変苦労したのですが、今では良い思い出として記憶に残っています」

ギターショップ「アンダンテ」との関わりは、2005年頃からなのでかれこれ約17年にもなります。

今回は、2006年に「アンダンテ」からご購入頂いた、ヘルマン・ハウザー2世(1958年製) のメンテナンスが終わり、楽器を納品するため増田さんの住む石川県のご自宅にお邪魔してきました。

静かな住宅街の一軒家に奥さまと住まれている増田さん。2階のギターのお部屋に通して頂きます。 小さなコンサートなら10名程度入ってしまうのではと思えるお部屋に、ギターが6〜7本ラックに収まっています。練習用のスタンドが置かれ、部屋の一角にはオンラインレッスン用のスペースが。

「富山県在住の大橋俊希先生のレッスンを受けていて、今日もこの後オンラインで受講する予定です」と穏やかにお話くださいます。

所有してきた楽器は、ハウザー2世のほかにも、イグナシオ・フレタ、ホセ・ルイス・ロマニリョスなど。奥さまもマルセリーノ・ロペスをお持ちとのことで、ご夫婦揃ってクラシックギターに魅了されています。

大学に入るまでクラシックギターをやったことがなかったという増田さん。入学早々ギター部に誘われて入り、アコースティックギターを初めて手に取ります。そんな折に、J.S.バッハの「BWV996」のリュート組曲を弾いている先輩に出会います。 1人で弾いているのに、メロディーも伴奏もギターで自在に奏でられる様子を見て、「何人分もの演奏ができてしまう楽器なんだ!」と驚いたそうです。そこからクラシックギターの世界にはまっていきました。ギター部ではコンサートマスターを経験し、部長にまでなった増田さんは、大学卒業後も仕事の傍ら、ギターコンクールに出場するなど積極的にギターと関わって来られています。

修理からあがってきたハウザー2世を手に取る増田さん

今回修理から戻ってきたハウザー2世ですが、増田さんの手元にやってくるまでの経緯は、なかなかの波乱に満ちていたようです。

「1958年に母国のプロギタリストの依頼で、ミュンヘン郊外のライスバッハで製作され使用された後、ハウザー3世のコレクションとして一旦収められたそうです。その後、日本のプロギタリストの元に渡りますが、諸事情により約12年間、ほとんど弾かれることなく保管されたままとなっていました。私の手元にやってきた時には楽器は過乾燥状態で、力木の浮きや裏板の収縮によるセンター剥がれなどが生じており、すぐにオーバーホールに出しました」

山梨県でギター製作と修理を行っている長沢仁美さんにメンテナンスしてもらい、長い時間を経て戻ってきてからも、増田さんが馴染むまでかなり時間がかかったと話します。

それまでに数本、ハウザーの楽器を手にしたことがあった増田さんですが、今回のハウザー2世には「今までの楽器が持たなかった種類の色彩感」を感じたと言います。

「以前に、ギタリストの大萩康司氏に試奏してもらう機会があり、その際、氏が曲を弾きながら音を作ってゆくのを聴いて、あれ?ハウザーなのにブーシェ的だなと感じてしまいました。鼻から抜けると言うか、楽器の内側から鳴ると言うか…こんな引き出しあったのか…と言った感じでした。その後も長く弾き続けていますが、あくまでハウザーの伝統である「気高さや融通のきかなさ(退かない、媚びない、省みない)」は引き継ぎながら、演奏者の技術によってはフレタやブーシェ的な色彩感や響きも出せるところが魅力だと思います」

壁にかけられていた、ギター製作や作り手の記事がコラージュされた額。イタリア製でとても美しく、増田さんもお気に入りだと話す。

これまでに様々なギターを手にしてこられた増田さん。楽器だけでなく、その音楽も含めてギターとの関わりはご本人の生き方に大きな影響を与えているのが伺えます。

「実は妻との出会いもギターを通してでした」

毎月第一土曜日に「アンダンテ」で開催している「ギター土曜ゼミ」にも、ご結婚される以前にお二人でデートでいらしたこともあるとか。

増田さんにとって、ギターとは。

「生きる目的、です」

少し間をおいてから続けてくれました。

「自分を癒やしてくれるもの、だと思います。楽器があると、体も心も救われます。また、同時に自分が生きた証だとも思います。楽器は演奏者とのコミュニケーションを通じて変化してゆくように感じていますので、ここにある楽器達も皆、前のオーナーが奏でてきた音楽をタイムカプセルの様に私に伝えてくれます。楽器たちは私より長くこの世に留まると思っているので、私の想いを一緒に大切に次の世代に引き継いで行けたら…行ってくれたら良いなと思っています」

実際に、学生時代にこんなエピソードがあったと言います。

「大学の卒論研究のため、八ヶ岳の中腹にある実習場に研究生3人でひと冬こもったことがありました。外気温はマイナス20度で下がり、室温も零下の中、寝室ではこたつ以外の暖房は使用禁止というかなり過酷な環境で過ごしていました。私以外の2名は普段はあまり仲の良くなかったものの、あえて相部屋をするほど寒く寂しい環境でした」

そんななか、増田さんは一人部屋でギターを弾いて、普段と変わりなく幸せそうだったらしく、それを見た同期生がぼそりと一言「お前はギターさえあれば無人島でも生きていけるな…」と話されたそうです。

増田さんがお好きな曲はと伺うと、ギター曲に限らずJ.S.バッハ全般がお好きとのこと。

「特にBWV997のフーガは、時間をかけて練習していて、これからもずっと弾いていくであろう作品だと思います。ライフワークですね、何度も夢中にさせられます」

実際に、増田さんはこの作品で、2013年、2021年のギターコンクールに出場していずれも2位を取られています。 他の作曲家ではM.M.ポンセのソナタ3番やワルツ、イ短調組曲、カベソンの主題による変奏曲、F.ソルの作品30番等も好きで弾いてこられた曲だとか。

壁に飾られていた、印象的なギターの表面板。「現代ギター社」の主催するサマースクールに参加されていた際、2015年の最終日前夜パーティーのビンゴ大会の景品で当てたもの。

好きなギタリストは誰ですか?とご質問したところ、「古くはアンドレス・セゴビアです」と即答されました。そして「松尾俊介、マルシン・ディラ、最近は山本采和さんに注目しています」と話されます。

最後に、お部屋でAndres Segovia作曲の「Estudio Sin Luz」を演奏してくださいました。

ギターなしの生活は想像ができない、そんな印象を受けた増田さんとのインタビュー。ギターという楽器が人間の心や生き方を掴んでしまう、そんな魔力を持っているのだなと改めて感じることができた時間でした。

好きなギタリストアンドレス・セゴビア、松尾俊介、マルシン・ディラ、山本采和
所有してきた楽器ポール・フィッシャー1983、1987(松・ハカランダ)
ホセ・ルイス・ロマニリョス1世1980(松・ローズ)
ヘルマン・ハウザー2世1958(松・ハカランダ)
イグナシオ・フレタ1世1963(松・ローズ)
アンドレア・タッキ2011(松・中南米ローズ)
茶位幸信1988(松・ハカランダ)
等数々の楽器を経て現在に至る

■プロフィール

増田泰隆さん

大学入学時よりクラシックギターを始め、糸山泰弘、越田茂、松尾俊介、松田晃演、大橋俊希に師事。ウルフィン・リースケ、マルコ・メローニ、福田進一、藤井敬吾、高田元太郎、渋谷環、岩崎慎一、金庸太、新井伴典、角圭司、大萩康司、益田正洋、河野智美、山田岳、志田英利子、井桁典子、神保侑典諸氏のワンレッスンを受講。大学卒業後、魚類防疫、水産養殖学を専門とした職に就いたあとも、ギターは継続し2000年以降アマチュア向けの各種コンクールにエントリーしはじめ、2003年日本ギターコンクール上級部門銀賞、2013年、2021年シニアギターコンクールミドル部門2位等の受賞歴がある。

アンダンテからのメッセージ

アンダンテでは毎月の第1土曜日にギター愛好家のための『土曜ギター・ゼミナール』(通称:土曜ゼミ)というイベントを20年に渡り、これまでに249回(2023年5月の時点)開催してきました。

土曜ゼミはアンダンテのサロンに於いて毎回、12〜13人の参加者が集まり普段のギター練習の成果をお一人の持ち時間10〜15分の範囲でご来場者の前で演奏を披露するという企画です。

土曜ゼミを始めたそもそものきっかけは、ギターショップとしてギターを販売したらハイそれで終わり、というのではあまりにも素っ気なく、その後も買って頂いたお客さんと新しいギターとの関わりを追跡していきたい気持ちが湧いてきたからです。
それにはギターを趣味とする人たちが地域や流儀を超えて、気軽に集い・演奏し合える場が必要だと考えました。
その目論みは当たり、現在も土曜ゼミでは首都圏からギター愛好者が集まり楽しく、そして前向きにギターと取り組んでいる光景が繰り広げられています。

そんな土曜ゼミを始動した初期に、金沢から時々参加されていた方が今回ご紹介する増田泰隆さんです。

金沢からの参加となると日帰りでは無理で、交通費も結構かかり、生半可な気持ちでは参加できるモノではありません。
しかし増田さんが土曜ゼミに臨むときのご様子は、わざわざ遠路はるばる参加するという覚悟を決めた心境ではなく、むしろ大きな楽しみとしてこの日を待ち望んでいるといった雰囲気でした。
もちろん本番での演奏中は誰だって上手く弾けるかどうか不安で、とてもギターを楽しむどころではないのですが、そういった人前で緊張して演奏している自分の姿も織り込んだギター・ライフの全てが増田さんにとっては人生そのものなんだ、ということを垣間見た気がします。

今回は増田さんからお預かりしたハウザー2世1958年製の修理が上がり、そのお届けの時期に合わせて他の北陸の仕事もアレンジ、探訪記も兼ねさせて頂くとにしました。
50年代のハウザー2世というとただ高価というだけでなく、もし宅配運送中に事故や破損でも起きれば歴史的遺産としても取り返しの付かないことにもなりかねず、車で直にお届けすることに決めました。
到着後、私たちが通された増田さん宅の居間にはロマニロス1世やフレタ1世といった非常に有名な名器以外にもギターファンには良く知られた輸入ギターが棚に並べてあり、話ではお聞きはしてはいたものの実物を見ると圧倒されました。

増田さんはお勤めの方で、特に資産家というわけではありません。
普通は標準的サラリーマンで相当のギターマニアであったとしてもフレタ1世やハウザー2世級の名器ともなれば、所有してもせいぜい1本が良いところですが、そういった名器を3本、しかもどれも状態が良いとなれば、ギターコレクターさんでさえ羨ましく映るのではないでしょうか。

増田さんのように、“ギターとは 「生きる目的、です」”とまで言わしめるほどにギター愛に満ちている方が実際にいらっしゃるというのは、ギター商としてはもちろん、ギター愛好家にとっても頼もしく、また励みとなるのではないでしょうか。

(アンダンテ・川平満)

次回もギターの愛好家のインタビュー記事を公開予定です。お楽しみに。

取材・撮影・文=古園麻子