ギターショップ「アンダンテ」には、個性豊かなギター製作者やギター愛好家が集まり、長年に渡り交流をしたりお取引をさせて頂いています。この企画シリーズ「ギター人(びと)探訪」では、ギターがあることでより豊かな生活を過ごされている皆さんをご紹介していきます。

ギター人:石井栄さん
職業:ギター・古楽弦楽器 製作家

弦楽器製作の道を走り続けて50年

クラシックギター製作家が多いと言われる日本。なかでもギターショップ「アンダンテ」でのお取り扱いも多い、ギター製作家の石井栄(いしいさかえ)さんは、クラシックギター愛好家であれば一度は聞いたことのある製作家ではないでしょうか。

今回は、長野県上田市にある石井さんのアトリエ兼工房にお邪魔して、楽器製作にまつわるお話を伺ってきました。

ご自宅の敷地内にある工房は、2階建て。1階に大型機械が配置され、2階が作業机のある工房になっている。

2022年の晩秋に工房に訪れると、石井さんがにこやかに出迎えてくれました。手入れの行き届いたお庭を通り玄関からアトリエに足を踏み入れると、壁にはポルトガルギター、スウェーデンの民族楽器ニッケルハルパから、アルトやテナーのヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックギターなどがずらりと飾られ、そこはさながら古楽器やギターの展示室のようです。

写真左:左から、中世フィドル、6コースヴィウェラ、マンドリン。写真右:ニッケルハルパ。背面の装飾が美しいギターは石井さん製作のもの。

ものづくりの原点は10代で作った肘掛け椅子

石井さんの製作家としての原点は、10代にありました。小さい頃から手先が器用で、高校生の時に授業で作った木工作品を先生に褒められたことが忘れられず、大学は東京教育大学(現・筑波大)農学部林学科へ。しかし、木にまつわる実技経験を積めると思って入学したものの、ほとんどが座学ばかりで自分の興味や方向性と異なることに迷っていました。そこにきて、北海道在住の叔母夫婦が経営するレストランで短期間働かないかと声がかかり、一気に食の世界へと興味が向かいます。大学卒業後には、赤坂の料亭で修行するほど真剣にのめり込みました。

石井栄さん製作のヴィオール属(ヴィオラ・ダ・ガンバ)のトレブル(ソプラノ)、アルト、テノール、バス。

朝から晩まで働く日々が続き、このままで良いのだろうかと疑問が湧いてきます。もともと冒険好き、本好きだった石井さんは、ご自身のご両親の人生にも意識が向きます。父親は日本統治下時代のパラオで政府関係者として働いていました。自分も父親のように外国で活躍してみたい、もっと冒険した生き方をしてもいいのではないか。そこで飲食業で貯めたお金を握りしめ、横浜港からヨーロッパに出発します。ストックホルムから南下していき、スペインで旅を終えるまで約4か月間滞在しました。フラメンコを見たくて訪れたグラナダでは、たまたま入ったギター工房でフラメンコ・ギターを入手します。

アトリエの本棚に並ぶ、ギターや楽器にまつわる書籍の数々。写真手前にあるのは、奥さまの趣味のお琴。

「学生の頃からフラメンコギターが好きだったんですよね。当時買ったのは、エドゥアルド・ドゥラン・フェレールのもので、2万円程度でした」

ヨーロッパ滞在中に、プロのギタリストを目指す日本人に出会い、その演奏に感銘を受けます。同時に、自分もギターにまつわる仕事をしてみたい、例えばギターを作る側になれないだろうかと思い始めるように。

「思い立ったらやるしかない性格」なので、そのまま帰国して羽田空港に降り立ち、本屋ではじめて雑誌「月刊 現代ギター」を手に取ります。立ち読みをしながらパラパラと見とページをめくると、「ギター職人弟子募集」の広告が目に留まります。一度心を決めたら一直線に進んでしまう石井さんは、すぐさま東京都町田市にある茶位(ちゃい)幸信工房に連絡を入れて弟子入りさせてもらいました。1972年のことでした。

工房の壁には様々な大きさのカンナ、ハンマーやギターの指板がきれいに掛かっている。

茶位工房で同時代に所属していたのが、山梨県に工房を構えるギター製作家の長沢仁美さんや、現在米シカゴ在住でバイオリンを製作している松田鉄雄さんでした。

ギター製作は工程が非常に多いため、量産する場合は工程ごとに製作担当が決められています。当時の石井さんは「白木製作」担当だったので、その作業に集中する日々が自ずと増えていきました。茶位工房には10年ほど勤め、1984年に独立。現在の上田市真田町に自身の工房を構えました。

ヴィオラ・ダ・ガンバの背面にカンナをかけている石井さん。

ギター製作は、ひとつの正しいやり方があるのではなく、製作家それぞれが工夫して、材料を見極め、使う道具までも自作してしまうのがほとんど。石井さんが試行錯誤して作った、板を曲げるための道具から、ギターの型に至るまで、全てご自身で作っていると言います。

「作る工程を想像して、楽しんで作業ができる人が、職人なのだと思います」

写真左:石井さんお手製の、板を熱して曲線を作るためのヒーター。写真右:製作中のギターの内側。
写真奥が、ギターの型、手前がヴィオラ・ダ・ガンバの型。いずれも石井さん設計によるもの。

さらには、木と木を接着させるためのニカワ選びや、表面を仕上げるニスなども、あらゆるものを試しては、何が適しているかを常に探求していると言います。

写真左はニス。お気に入りのビール瓶にニスをいれたまま温めて、右の器に入れてから、カット綿を布で包んだタンポでギターの板の表面に塗っていく。
接着剤にニカワを使用。文化財の修復に使われる黒毛和牛(!)のニカワなどを数種類使い分けている。

ギターは完成に至るまでに約3か月。ヴィオラダガンバは8か月以上、リュートは1年程度かかります。一部の部品は外注することもありますが、細かい組み立てはほぼ1人で全て仕上げていくため、時間も手間もかかり、神経も使います。特にギター製作の緻密さは、ヴァイオリン製作をもしのぐともされています。

石井さんが手にしているのは、150年前の木材。1999年、ドイツのギター工房に行った時に譲ってもらった貴重な木板。こういった出会いがあるのが楽しいと石井さんは話されます。

弟子には場所を提供するだけ

今は1人で工房に立つ石井さんですが、かつては11人ほど弟子をとってこられました。ただし「育成はしていない」と話します。

「ギターを作りたいという人が来たら、僕は場所を提供するだけです。二人目の弟子からは、賃金は1年間は払えないから、その間はご両親に仕送りしてもらって欲しいと伝えました。職人の世界は厳しいものです。最終的には半分くらいはギター職人の道を諦めて、辞めていきます。

その様子も知っていたので、弟子には早く自分の名前で楽器を作って、それを早く売りなさいと言ってきました。量産するギター工房では分業が当たり前だったけれど、僕の工房では全行程を何度もやることができる。それを早く身につけていって独立して欲しいという願いがあります」

後進の育成・指導にも積極的な石井さん。同工房出身に、中野潤さん、丸山太郎さんなども。

「ここ最近は、畑を借りて野菜を作っているのですが、このときは無我の境地になれます。ただ、楽器を作っているときは、なかなかそこまで行けないのですよね」と微笑む石井さん。

ヴィオラ・ダ・ガンバに魅せられる

作業机の奥には、ヴィオラ・ダ・ガンバのコマが掛かっている。

以前勤めていた茶位工房の壁には、修理を待つヴィオラ・ダ・ガンバがずっと掛かっていました。誰も修理をする様子もなかったその楽器を手に取り、外寸を測って図面だけは引いておいたという石井さん。それから時を経て上田市に移住し工房を構えた後、2007年にヴィオラ・ダ・ガンバ協会に所属する知人に声をかけられたのが縁で、当時数少なかったヴィオラ・ダ・ガンバの製作や修理を依頼されるようになります。そしてリュート奏者のつのだたかしさんに後押しされたこともあり、バロックギターをはじめ、様々な古楽器を作るようになりました。すぐさま古楽器の世界にのめり込み、自身もヴィオラ・ダ・ガンバの合奏サークルに所属し、今では古楽器製作のほうがメインになりつつあります。

ヴィオラ・ダ・ガンバのヘッドの彫刻も石井さんが手掛けている。

「僕にとっては、人との出会いが全て」と話します。「ヴィオラ・ダ・ガンバもポルトガルギターも、それぞれ人との出会いがなかったら、作ることもなかったと思います。そして性格上、いろんなことに興味をもってしまうから、頼んで頂いたり、自分が良いなと思うと、色々作りたくなってしまうのですよね」

これまでに作った楽器は、ギター以外にも、リュート、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックギター、ポルトガルギター、ウクレレなど。

フラメンコギターや、11弦ギターが工房の天井から吊り下げられている。

2022年10月1日〜16日に「手工弦楽器展&コンサート 音の形」を開催。「古楽器からモダンギターまで弦楽器製作50年の旅」と第して、東御市文化会館展示室で行われ、累計来場者数が1,000人を超えたそうです。そしてこの展示会をもって、石井さんはギター製作50年にひと区切りをつける予定にしているそうです。

「そうは言っても、特注で楽器製作や修理のご依頼は受けてしまうので、完全には終われないかなと思います。本当は、楽器以外の木工を気ままにやったり、大好きな読書をしていたいのだけれど」と笑います。

ヴィオラ・ダ・ガンバのヘッドの彫刻を、仏像で彫って欲しいというリクエストがあるのだとか。「仏師ではないけれど、こういう木彫りをするのも好きです」と石井さん。

ご自身で作られたギターの中で、印象に残っているものや、特に出来が良かったと思うものはありましたか、との問いに、「納得の行く一本はないですよ」と石井さん。

「もちろん自分が良しとした材料や技術を用いてギターを作りますが、作ったときのギターはまさに生まれたばかりの“赤ちゃん”なのです。結果的にその楽器の良し悪しはギターを手にした奏者の判断に委ねるしかないと思っています。経年変化で楽器自体も変わっていきますし、奏者のギターに対する好みもそれぞれでしょう」

装飾が美しい、石井さん製作のバロックギター。

「“これが石井栄の楽器だ”と主張するようなギターは作っていません。どんな楽器になるかは、あくまでも木が導いてくれるからそれに従うだけです。そしてたまたま僕の作った楽器で演奏をしてそれを聞いた人が、“石井さんの楽器っぽい音がする”というのはもしかしたらあるかもしれないけれど、楽器は良し悪しはなくて、好みの世界。楽器はあくまでも嗜好品なんです」

50年間、ギター製作家として歩まれてきた石井栄さん。ギターは1,000本以上、ヴィオラ・ダ・ガンバも100本以上は製作してこられました。

ご自身が製作したヴィオラ・ダ・ガンバをアトリエで演奏してくださいました。

石井栄さんにとっての楽器製作とは。それは石井さんご自身の生き方と重なっているように思えてきます。人との出会いを通してその楽器に惹かれて製作し、作って欲しいと頼まれたらすぐさまのめり込んで製作し、難しい修理も軽やかにこなしてしまう。常に興味は尽きず、それぞれの楽器の世界に魅了されては、なんでもやり遂げてしまう集中力と軽やかさが石井栄さんであり、製作される楽器もまさに石井さんご自身のように感じました。

■プロフィール

石井栄(いしいさかえ)
1947年 上田市生まれ。東京教育大学農学部 林学科木材工学を卒業後、スペインにてグラナダを始め幾つかのギター工房を巡り、その道を志す決意をする。
帰国後、茶位幸信氏にギター製作を、バイオリン製作を松田鉄男氏に師事し、1984年 長野県真田町にて自らの工房を開く。作品は、クラシックギターを中心に、バロックギター、ビウエラ、リュート族、ヴィオラ・ダ・ガンバ等、古楽器も手掛けている。
又後進の育成・指導にも積極的で、同工房出身の中野 潤、丸山 太郎他、現在、若手製作家として活躍している者も多く、現在も何名かの次代の名工をめざして修行中の弟子の指導にあたっている。

アンダンテからのメッセージ

2022年11月17日、石井栄さんの弦楽器工房を初めて訪問しました。

石井ギターは1992年に私がアンダンテを創業して以来昨年12月までの30年もの間、とぎれる年なく扱ってきた主力手工ギターの一つです。
そんなこともあって、いつかは石井工房を訪れなくてはと思っていたのですが、なかなか機会がなくやっとそれが実現した次第です。

石井弦楽器工房の様子は以上の訪問記の通りですが、個人規模の工房としては非常に広々としており、買付けた角材を各パーツに製材するための機械置き場と、製材後のパーツをギターに組み上げていくための作業場が1階と2階とに完全に隔てられていて恵まれた製作環境だと思いました。

石井さんは茶位ギター工房の職長を長年努めていたこともあって、高水準のギターを安定的に製作していくという使命をギター製作の重要なコンセプトに据えているとのこと。その経験がこの工房の作りにも反映している、と納得させられました。

一方で、石井さんと言えば、優秀な弟子を多数排出したことでも知られています。
訪問記で揚げた中野 潤氏、丸山 太郎氏を始め、田邊 雅啓氏、佐久間 悟氏、スペインに渡った岩田 裕氏など、よく知られたギター製作家が目を惹きます。

職人を雇っている他のギター工房では修業途中で製作家を諦めたり、長続きしないお弟子さんの割合が80〜90%であるのに対して石井さんの工房では大凡半数が独立後、製作家として今も活動しており、それは凄い育成率です(訪問記では育成はしていないと言っておりますが)。

そういえば石井さんは学部こそ農学部ですが東京教育大学を卒業しています。自身は学生時代より料理人としても修行を積んだ経験が豊富で、教わる側の気持ちも良く骨身にしみていることでしょう。師匠にするにはこれ以上ない経歴ではないでしょうか。

ギター界に限らず大概の師弟関係は、伝統の継承であったり師匠並の作品を作るという流儀が一般的ですが、石井さんは弟子達に見習いの段階から師匠の作品をなぞるのではなく、製作技術は教えるけれども、音を作り出すというのは、それは各人が考え・行う作業であると捉え、どういうギターを作っていくかは弟子本人の自主性に委ねているとのことです。それが、お弟子さん達の、師匠の影を感じさせないそれぞれに個性も作風も違うギターの多彩さに繋がっているのだと思います。

石井さんの工房の手製看板には『石井弦楽器工房』と書かれています。
石井さんが弦楽器製作家になるきっかけはギターであり、その後も長くギターだけを製作し生計を立ててこられた訳ですが、後年、ヴィオラ・ダ・ガンバやリュートを作る機会を得てから、他の弦楽器にも製作範囲を広げてこられました。
そんな理由から、石井さんは玄関の看板にギターではなく『弦楽器工房』と書いたと思われますが、職人魂的にも、ギターの音にだけ一途に理想を求めて突き進むタイプではなく、他に好きになった弦楽器に巡り会えば生来の好奇心がもたげ器用さも手伝ってついいろんな楽器を製作してしまう性格のようです。

訪問した際にお手製のガンバを演奏して頂きましたが、案の定、なかなかの腕前でつい聞き惚れてしまいました。
そういった他の弦楽器製作で得た音の感性やノウハウもギターの音にフィードバックさせているせいか、最近の石井ギターには音色の明るさ・特に奔放さなどが感じられ老境に入った石井さんの性格が如実に反映して弾くのが楽しくなります。

以上、貴重なエピソードは直に工房まで足を運ばないと聞けない話で、遠距離ドライブの甲斐があった、とは言うものの、、、図らずも石井さんの製作引退宣言ともとれる個展を終えて間もない時期となってしまったのは遅きに失し、少し悔やまれるのでした。

(アンダンテ・川平満)

次回はギターの愛好家のインタビュー記事を公開予定です。お楽しみに。

取材・撮影・文=古園麻子